カンボジアの農と食と、未来について考えた

今回のカンボジア滞在では農業関係の方にも会えて、いろいろ話を聞くことができた。

当たり前だけど、ここにはここなりの制約や特徴がある。

カンボジアの土地は赤土で、総じて痩せている。だから伝統的に他のインドシナ諸国より貧しいという。アクアポニックスやEM菌を使うことで改善していくサイクルを作れるかも、という話を聞いた。

カンボジアの農地代は年に何期作できるか、水が乾季も来るか、貸す相手がローカルか外人かで全然変わる。特に外人価格の振り幅は大きく、1haで年間$200→月間$150にまで変わることがある(笑)


基盤整備が進んでおらず、乾季は川に水はあっても田んぼに引き込めないのでお休みになる農地がたくさんある。ポンプ使うと電気代で全然採算が合わない。政治はそういう、高速で自分の利権にならないものには消極的らしい。

また農家は少しずつ時期をずらして計画的にやるといったことを絶対にしない。一気に直播きでばーっとやって、育ったら次の工程をまたばーっと一斉にやる。ずらせばずっと農地を使えるのにと日本人は思うが、休める日を増やすほうが大事らしい。


食っていければそれでいいというこの割り切り。上層部とのものすごい格差がそうさせる部分もあるみたい。日本に研修行ったワカモノなどは焦るようだ。

カンボジアの大豆は小さく、皮が柔らかいという。屋台でも売ってる豆乳によく使うらしい。

大豆は日本では長い時間をかけて畑で枯れるのを待つ。カンボジアでは暑さのせいで実が入り熟成するのが早すぎて小さくなるらしい。シェードをかけて速成を抑えればいいかも。日照時間が長いので、遮光してもそこそこうまくいく可能性はある。

日本人で豆腐を作っていた人がいたが、撤退したらしい。カンボジア大豆だと生産上、何か歩留まりが悪かったりするのかな。

カンボジアのお米は品種が幅広く、近隣諸国にあるおいしいお米はカンボジア原産で密輸されたものも多いらしい。

ジャスミン米はけっこううまいのにとても強く、カンボジアの気候でも病気にならずよく育つ。

日本米もところどころでやっているらしく、バッタンバンでも日本人が入ってやっているところがある。プノンペン近郊でもカンボジア人がやっている。しかし薬品で籾消毒は必須のようだ。

台湾には台湾越光(コシヒカリ)が普及しているので、あの猛烈な暑さに適応した籾を使えばカンボジアでもできるかもしれない。

台湾の稲作地帯

しかし食味を追求したコシヒカリはもち米成分が多いらしく、アトピーの人などにはアレルゲンになるらしい。ササニシキなど昔の品種なら大丈夫という人もいるので、そういうのを聞くと古い品種を試したくなる。

カンボジアのお米は高いものはそれなりにおいしい。しかし冷えると食えたもんじゃないらしい。安い路上店のお米も、それなりにおいしいものもある。


市場近くの路上店は自分のお気に入りで、粒が細かいがもちっとしたお米がおいしい。ただやはり安いご飯は猛烈にMSGが入っていて、食べてる途中でウエッとなることもある(^_^;)

プノンペン近郊の高原、キリロムの自然農パイナップルはびっくりするくらいおいしかった。普通の5倍の値段だがそれでもお金持ちカンボジア人が10個単位で買っていく。でも1回獲ったら以上終わり。次の収穫時期まで待たねばならない。


ちなみに普通のパイナップルはケミカルをかけて何個もポンポン実らせて収穫するらしい。正直きもい( ̄▽ ̄

カンボジアは暑いので苺などは向かない。病気になりやすく、早く熟成しすぎて粒が小さくなるという。大豆と同じくシェードするのがいいかもしれない。冬場のほうがよくできるらしいが、自然農的にはそれなら冬だけにしたいところ。


カンボジアでも高原ならぶどうも育つ。でも水はけの問題があり、ワイン用のぶどうが育ちにくいらしい。水はけが問題なら、まさにたんじゅん農法の出番。劇的に改善するかも、などと思いを巡らせる。


訪問したところはそうではないが、カンボジアの有機農は普通に農薬を使っているものが少なくないらしい(笑)「あの袋は何?」「虫がついたら使うっしょ!」らしい(^_^;)

カンボジアはフランスの旧植民地だったので、フランスパンのレベルが高い。アジアンテイストの具と一緒に食べるのがカンボジア流。


そしてカンボジアといえばカンボジア・ペッパー。料理に生胡椒が入っていることも。なかなかおいしい。


カンボジアの夕陽はとても美しい。いつか日本米を作って、カンボジア夕陽米として売り出せたらな、などと思いを巡らせる。


カンボジアは内戦のせいで内需が弱く、周辺諸国と比べてスローに成長していく。内需の少なさはインバウンドへの依存度の高さにも繋がる。

インバウンドに頼るためには、固有の文化や自然が存在することがとても重要。安易に近代化してカネに変えてしまえば、一瞬のバブルの後にこの国の価値は枯渇する。だから、文化にも景観にも自然にも関わる農は、とても重要なポイントだ。

彼らが日本のいいところも教訓も両方学んで、単にアクセルを吹かすのではなく健全に発展してくれるとしたら、それは問題山積の先進国・日本にとっても大きな学びとなるはずだ。だからこのスローさは、本当に長く続く幸せの礎を築く上で、おそらく有利な条件なのだと思う。

日本びともカンボジアびとも、お互いの学びとなる中で幸せを模索してゆく。それが日本びとがここに出張っていく意味なのだろうと思う。


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